ジュピター/トイレ掃除にはじまり、トイレ掃除におわる



じつはじぶんが世界の命運を握る特別な存在だと、ある日知ってしまう私。
『マトリックス』と相似の物語を、同じ作家が語り直す。こんどはスペースオペラの体裁で。

自宅にプロジェクター用のスクリーンを購入して、
最初に観たのがこの『ジュピター』。
大画面に向いている、見た目の楽しい作品。
なんの不満もないです。特別な満足もないけど。


この映画は家政婦の仕事をするジュピターのトイレ掃除にはじまり、トイレ掃除の場面におわる。

映画の冒頭では、無気力で生活に倦んでいた彼女が
宇宙でいろいろあったあげく「地球の所有者」になった最後で
あいかわらずトイレ掃除をしているけど、いまは気力に溢れていて
充実した日々を過ごしている。
同じ状況に置くことで、主人公の精神的成長をわかりやすく描きたい、のはわかる。

でも気になるのは、
最後の方のトイレが、黒い大理石の敷き詰められた、超リッチなトイレであること。
主人公の成長をこんなふうに描写するのがすごく意外だった。
プロダクションデザイナーはきっと、地球の支配者が掃除するにふさわしいトイレを考えたんだろうな。



Gap Dress Normal/フィンチャーを魅了するREDのモノクロ描出






Gapが2015年秋に展開していたキャンペーンで
コマーシャルムービーを担当したディヴィッド・フィンチャー。

この内容が、Gapの製品をどうアピールしているかは
微妙、
というかはっきりいってアピールしてないと思うのだけど
(コピーも、「服よりも行動があなたを表現する」というものだし)
むやみやたらにカッコいい。

このコマーシャルがブランドイメージに寄与すると判断して
GOサインを出したGapの偉いひとは、偉い。
アートとコマーシャルがどのように手をつなぎ得るのかの、
ひとつの実験だったし、たしかな成果を出していると強くおもう。

ここでアートとコマーシャルの橋渡しを可能にしたのが
ラグジュアリーなモノクロ画面の質感ではないかとおもう。

この少し前につくられたCalvin Kleinのテレビスポット「Downtown」からつづく、高精細なモノクロの描写は、観ていてほれぼれする画面。

フィンチャーと、デジタルシネマカメラのREDの蜜月。

きっとフィンチャーは、映画もモノクロで撮りたいんだろうな。
『ドラコン・タトゥーの女』でも『ゴーン・ガール』でも、どんどん画面の彩度が落ちていっているし、「ハウス・オブ・カード」も暗い。話も暗いけど。
思い切って全編モノクロでやっちゃってほしいけど、ヒットは、たぶんしないだろうし、、。






Netflix の切り札「ハウス・オブ・カード」が、シーズン4まで一挙配信開始



定額制の動画配信サービスの群雄割拠が
Netflix ネットフリックスの参戦によって始まった2015年の某日。
待ちわびていた僕は早々に登録、
だけどその直後に

「あれ、、アレがない」

と、早々に登録を解除をした。

アレとは、「ハウス・オブ・カード」。
デイヴィッド・フィンチャーが制作総指揮をつとめ
主演をケヴィン・スペイシー、脇をロビン・ライトやケイト・マーラーが固める
すこぶるクオリティーの高い政治ドラマ。

ハリウッドで思うようなクリエイティブ環境を与えられない映画人が
テレビ業界に移行して作品をつくるトレンドを決定づけた一本だ。

Netflixに入っていると当然おもったのは、
このドラマがなんたってNetflixの肝いりの企画であったからだ。
ネット配信で公開されたドラマシリーズとして史上はじめてエミー賞を獲得したことや
毎週公開ではなく、1シーズン13エピソードを一挙に配信するそのシステムが視聴スタイルに与えたショックなど
このドラマの重要さはどれだけ強調してもしすぎることはない。

僕のなかでは
Netflix=ハウス・オブ・カード
だったのだ。

TSUTAYAでシーズン2まで見終えてからの永い空白の時間、
海の向うのNetflixではとうに配信しているシーズン3のソフト化のウワサもまったく聞こえてこない日々。
Googleが教えてくれるところでは、
ソニー・ピクチャーとの権利関係に問題があるとかないとか。。

ほとんど希望の火も消えかけていたころ
2016年3月4日、
「ハウス・オブ・カード」が
とうとうNetflixにやってきた!

しかもシーズン4まで、いつのまにできてたんだ!

シーズン2でプールに投げ込まれたステーキに突進する犬の気分


BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」 / デジタルの身体は



初音ミクとアーティストが共演、って
アイデアとしては簡単なんだけど、それをどんなレベルで実現するかはまた別の話で、
合成ではなくライブにこだわった、東市篤憲さんのこのMVはひとつのメルクマールになるような気がする。


ミクはバンドの中心に円筒形のなかで歌い、踊る。
最初はその円筒形のなかにミクの身体が拘束されているような、デジタルの存在ならではの不自由さを感じるのだけど、
カメラが引くと、その円筒形を中心にして天井に同心円のオーロラのような図像が展開していて、ミクの内宇宙が映し出されているよう。こんどは逆に、バンプが小さく感じられ、巨大なミクの内側でパフォーマンスをしているような感覚になる。
デジタルのデジタル性をうまく引き出す入れ子。





大森靖子「ミッドナイト清純異性交遊」/橋本愛がピピピラララ……





『アフロ田中』で監督したデビューした、自身も天然パーマの松井大悟によるMV。

つくりもののキラキラチープな世界と、団地近くの公園での真夜中の追いかけっこが交差する。



MVなんだから、

パフォーマーが歌っている世界Aと、役者たちがなにかの物語を語ろうとする世界Bとが、交互に描かれるのは、自然で珍しくもないことなんだけど、

この「ミッドナイト清純異性交遊」では、

世界Bの主人公だった橋本愛が、さいごに大森靖子だけの世界だった世界Aに唐突に闖入し、うたのおわりの「ピピピラララ……」というフレーズに合わせて、唇をかすかに震わせる。

ただそれだけなのに、すごいカタルシス。






ミドリ安全_ラーメン修行編/最初から最後まで脱線しつづける





ひねりすぎてよくわからなくなっている。



「師匠、わたしのラーメンを認めてください」(外国人、カタコトの日本語で)

「ラーメンで一番大事なものはなんだ?」(麿赤兒)

「スープ」

「ちがう!

「麺?」

「ちがう!」

「(ハッとして)魂」

「ノー!」そして跳躍する麿。

師の出した解答は? みたいな。





思い切りはいい。

ミドリ安全、という社名も思い切りがいいと思う。

Nina Simone - feelings (1976) /ふてぶてしいニーナ・シモン





ニーナ・シモン、1976年モントルー・ジャズ・フェスティバルでの圧巻のパフォーマンス。

を、ニーナの顔面のクローズアップで捉える、思い切ったカメラマン。



うーん、ふてぶてしい。そしてかっこいい。

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