『アバター』の感想を、いまごろ







『アバター』については
監督のジェームズ・キャメロン自身が
「だれもが知ってる物語を、誰も見たことのない世界で語りたかった」
と、これ以上ない的確な説明をしているので、
それに何かを足そうとも思わない。


こういう超ビッグバジェット映画って、
いろんな人がいろんな適当な感想をいって
それが(ぼくみたいに情報をシャットアウトしてる人間でも)いやおうなく耳に入って、
『アバター』について考えることの大半が、そんないろんな声への
賛同だったり反論だったり。
しているうちに、ほんとうにじぶんが、どんな気持ちであの映画を見たのか
だんだんわからなくなってきてしまう。
と、時期外れの感想になるいいわけをした上で





二つ、思ったことがあった。


想像上の生き物を描くときも、
想像上の機械を描くときも、キャメロンの眼は平等に的確で、生態を感じさせる。
モビルスーツみたいなロボットが
胸のあたりからバフーッと排気をするカットで
「ああ、ちゃんと生きてるな」と思った。


もうひとつは、
「世界でもっとも売れる映画をつくって」というクライアントの要求に
(もしそんな無茶な要求があったとして)
「いいっすよ」と答えられるのは、
いまこの世界にキャメロンしかいないだろうということ。
残念ながら、スピルバーグもフィンチャーもできない。


しかもスターアクターを全く使わずにそれを成し遂げているんだから、すごい。
人をどうやったらテレビやブルーレイじゃなく、劇場に足を運ばせるか
という根本のシステムから考えて興行成績1位をつくるのだから、
ちょっと映像作家の枠を超えてるというか、
いや、ほんとうの映像作家って、こういうことなのかもしれない。
マーク・ロスコという画家が、じぶんの絵画を鑑賞するのは
これこれの条件を満たした部屋でなければだめだ、という指示をしていたけれど
(アジアで唯一のロスコルームが、日本にはある。どこの美術館だったか、わすれたけど)
その種の横暴さを、ビジネスの流れのなかで実現してしまう。とんでもない人だ。




ちょっと褒めすぎ?
もう一回みたい映画ではぜんぜんないです(なんて、わざわざ言わなくていいか)


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